掴めない自分

昔の自分を見ているようだった。

青臭いな、とか親のように穏やかな心で見るのではなく、

私がいつのまにか失ってしまった自分の率直な感性を彼女は持っていた。

 

あ、やられる。と思った。

 

多分彼女は私が認めてもらいたいがそれが叶わない全てのものから認められるだろうし、私が立てない場所にするりと入ってしまうのだろう。

そしてそれによる1番の恐怖は、自分もかつてその感覚を相手に与えていたということを、その鋭さを失った今気づいてしまったから。

 

周りから面白い、変なやつだと言われ、それが何故だか自分にはわからなかったが誇らしくも思っていた自分の感性はいつの間にか面白いやつになろうなろうと考えている思考力の強さに負けてどこかへ消えてしまった。

 

私は周りに人がいると自分を失う。

1人の時は自分だけに意識が向かう。何を考え、何を決断するか。自分が何を欲していて何を恐れるか。

それはスキーで、下山する山のレベルを推測る感覚と似ている気がする。今の自分にこの角度の山は降りれるだろうか。

 

だが、人といると途端、思考をやめる。周りの人が降りていく山なら私も多分降りられるだろうし、意識せずとも体が誰かの背後についていく。

無心でいて、気づくとまた入り口付近のリフトの前にいる。無闇に足をぶらぶらさせながらまた山を登っていく。

 

私はいつから自分で下山する山を選ばなくなったのだろう。