him

彼は私を1人の人としてではなく、全人類の代表として愛した。

私の精神や考えは愛すべき対象だとして、まるで木や水が私の五感を愛でるように、そんな風に彼は私を愛した。

だから、私が彼を愛したとして、彼は私と同じように私のことを愛しているわけではないのだ。

彼は私の意識や精神を愛したのであって、もしかしたらそれには肉体的なものも含まれていたかもしれないが、決して精神や肉体をひっくるめた私自身を愛したわけではない。

それは若い女性が生まれたての子犬を可愛いと愛でるのと非常に似ており、彼女が子犬を、その子犬だからという確固たる信念があって愛でるわけではないのと一緒で、彼もまた私を愛してはいないのだった。

 

夏休み

そうですね、そうかもしれないです笑
日常からちょっと違うところにずっと身を置いて、日常ではできないことばかりして、

今日久しぶりに登校して非日常に慣れた視点で過去の日常の私を客観的な視点から捉え直せた気がします。新しく気づいた自分の考えとかもあったりして。きっとそういうのが今の私に必要だった休みで、でもそれは誰にとっても必要で。だから学校の制度的に夏休みがあるのか…とか考えたりしてました。

パスモ

私はパスモをチャージする。都会に住んでいたらすぐ交通費なんて飛んでしまう。でもチャージするたび、なんの感情もない機械に紙が吸い取られて行く度にその無情さを痛感するのだ。

無情というと変かもしれない。そのお金で電車に乗らせてもらってるわけだから。でもお金のその重みを感じられないものにお金を払う行為が私には無情に感じられるのだ。

例えば5000円チャージする。それは私が5時間バイトして貯めたものだとする。

元気が有り余ってる時の5時間だったかもしれないし、試験前で余裕がない時の5時間、熱を出しながら働いた5時間かもしれないし、その背景の想像にはきりがない。

例えばそんな5000円で良質な定期入れを職人さんから買ったとする。お互いに物の対価をきちんと理解して、そのお金の背景に感謝しあって、また作られた物の素晴らしさをいちいち実感して買うという行為が成立する。

しかしチャージにはそのありがたみを感じることはない。そんな時、機械化に寂しい想いを感じざるを得ないのだ。

合理化と感情化は気をつけて図らなければならないと思う。それがその人の味になり、その人の人生をかけがえのないものにするきっかけになりうるのだから。

崖っぷち

タイトル通り今崖っぷちなわけで。

 

これで失敗したら面目保てないよな…とか、また1からやり直しかよ…とか、

 

なんかそんなんじゃなくて。

自分これからどうしよう。どうやって生きよう。

自分がやりたいことって何だっけ。最後に自分の意思でなんかやり遂げたのっていつだっけ。

 

親とか、世間体ばっかり気にして「こうあるべき自分」を作り上げて、それに向かって必死に努力して。今こうして理想の自分像が崩れた瞬間

 

今まで考えてもみなかったフリーターって言葉が痛いほど心に滲みる

 

普通に大学入って、普通に就職して、結婚して…自分のやりたいこととか夢とかよりも現実的な安定感の方を重視したい感。

 

でもそれじゃダメなのかなって

でもだからと言って明確なビジョンがない世界に飛び込む勇気もない。

 

崖の淵が迫る。

 

でも、いいのか悪いのか、目の前の崖から突き落とされる瞬間はまだ来てない。

だから考え方を変えれば、これはまたとないチャンスなわけで

強くなれるチャンスなわけで。

 

今、"ここ"から落ちたら、将来像として描いてたノーマルライフでは生きられなくなると思う。

それ以上にユニークな道を自分で歩まないと将来の可能性なんて考えるポジションにさえ立てないから。

自分のやりたいこと、進みたい道、これだけは譲れないって一生懸命になれること。それを本気で探れるタイムリミットが迫ってるんだと思う。今までは目に見えるタイムリミットに翻弄されて、もっと大切なものを見ようとしてこなかったけど。

だから今のこのポジションは最後に私に与えられたチャンスだ。

そう思って毎日を頑張ろうと思う。